2019年6月1日1日、アメリカ・サンノゼから成田に向かっていた全日空機に空調系統不具合が発生しました。
機体は緊急事態を宣言し、機内の気圧を保つため、10分足らずの間に高度約1万3000メートルから3000メートルまで急降下しました。
上記のような書き出しで、一部の報道機関では、「10分間で10,000m「も」降下している!」と、かなり大げさに報道しているようです。
さて、空飛ぶたぬき的には、空調系統不具合による急降下は適切な措置であると断言しますが、今回はこの急降下の是非について書いてみます。
空調系統の不具合と急降下
空調系統とは、その名前の通り、「機内の温度を制御」する系統で、簡単に言えば暖房と冷房です。
かとって、暖房や冷房が壊れたからといって、急降下する必要はほとんどありません。
急降下を要するのは、【与圧系統の不具合】が生じた場合です。
10,000ft(3,000m)以上を飛行する航空機には、与圧系統が搭載されています。
与圧系統とは、航空機内部の気圧を必要に応じて加圧・減圧できるシステムです。
この与圧系統は、機内圧力をコントロールする関係で、暖房や冷房なども機能の一部として搭載しています。
報道では、「空調系統不具合」と書いている物も多くありますが、実際の所は「与圧系統の不具合」と言う方が正確かと思います。
与圧系統を搭載する航空機
与圧系統は、ある性能を考慮して搭載する事になります。
その性能とは、「巡航性能(上昇性能)」です。
非常に簡単に言えば、10,000ft(3,000m)を超えて上昇し、巡航できる機体であれば搭載する事になります。
ジェット機とプロペラ機の違いとか、エアラインで使うか自家用機かとかという違いではありません。
エアバス社やボーイング社のジェット機はもちろんのこと、セスナ社のビジネスジェット、サイテーションシリーズ等にも搭載されています。
単発レシプロ機では、パイパー社のPA-46(痛飛行機プロジェクトで使用した機体)も与圧系統を搭載しています。
単純に10,000ftを超えるか否かで決まっていると考えて良いと思います。
与圧が必要な理由
結論だけを言うと「低酸素症」という状態に陥るからです。
呼吸数を増やしても、深呼吸しても全く効果はなく、知らず知らずのうちにより深い低酸素症に陥り、判断力や身体能力の低下、意識混濁、やがては意識を失います。
一般的な症状は以下のとおりです。
- 呼吸器・心臓血管系・脳神経系の症状
- 熱感、疲労感、頭重感、視力低下、人格変化、判断力低下、言語能力低下
- 呼吸・心拍の増加、チアノーゼ、知能活動の低下、反応時間の低下
- 協調運動の低下、けいれん、意識障害
こういった症状が発生するのは、「空気が薄くなるから」と理解されている方も多いかもしれませんが、正しくは【肺胞内部の酸素分圧低下】が原因です。
高度による分圧の変化
例えば、高度18,000ft(6,000m)における酸素の濃度は、実は地上とほとんど変わりありません。
しかし、その圧力は地上に比べると、約半分なのです。
つまり、高度が上がるにつれて、酸素が薄くなるのではなく、圧力が低下していく事になります。
皆さんが普段から無意識に行っている呼吸という動作は、鼻や口をとおして、肺の内部に大気を取り込む動作です。
この取り込まれる肺内部の部位を「肺胞」と言いますが、地表面付近での肺胞内部の各大気分圧は次のとおりです。
- 酸素:103 mm-Hg (大気中には148 mm-Hg存在しています。)
- 二酸化炭素:40 mm-Hg
- 水蒸気:47 mm-Hg
- 窒素:570 mm-Hg
つまり、地表面では窒素の次に酸素分圧が高くなっていることが分かります。
分圧が高いと言うのは、簡単言えば「狭い部屋で互いに押し合いをしている」という状況で、相手を押しのける力と考えれば良いかと思います。
押しのける力が強ければ、留まっていることができますが、その力が弱くなると他の気体に負けて、肺胞内部に留まることが出来なくなります。
さて、高度を上げていくと、前述の理由で肺胞内部の酸素分圧が下がってきます。(以下、酸素分圧)
- 0ft:103 mm-Hg
- 8,000ft:64 mm-Hg
- 15,000ft:44.7 mm-Hg
- 20,000ft:36.5 mm-Hg
- 25,000ft:30 mm-Hg ※地表面の1/3以下まで下がることになる。
これによって、肺胞内部に酸素が留まることが難しくなり、約50000ftでは水蒸気と炭酸ガスのみで肺胞が満たされることになり、【酸素があっても、肺胞内部に留まれない状態】になります。
こうして、「低酸素症」に陥るのです。
低酸素症の高度分類
低酸素症は、肺胞内部の酸素分圧によって発生することから、単純に高度によってその危険性が分類されています。
不感域(0~10,000ft)
通常身体に影響はないが、夜間視力については6,000ftから影響を受ける。
代償域(10,000ft~15,000ft)
呼吸や心拍数の増加(代謝機能により、短時間であれば低酸素症の症状は発現しない。)
障害域(15,000ft~20,000ft)
種々の循環器症状や中枢神経症状が出現する。
危険域(20,000ft以上)
意識喪失やショック状態が発生し、放置すれば命の危険が生じる。
上記のように、10,000ftを境目に低酸素症のリスクは増大することから、10,000ftへの上昇・巡航性能によって、与圧系統の有無が左右されることになります。
低酸素症は気がつかない?
低酸素症になると、その本人は気がつかないのでしょうか?
これは、訓練や経験をすることによって気がつく場合があるという程度です。
私は航空自衛隊で航空生理訓練というのを受けておりますが、その中に「低圧チャンバー」と呼ばれる訓練があります。
そこでは巨大な窯の中に入り、内部気圧を下げていき、どのような症状が発現するかを自分自身で経験します。
- 顔や頬が暖かくなる・・。
- 幸せな気持ちになる(多幸感)・・。
これらは、実際に私が経験したものです。
もちろん、単純計算(1000から1づつ引き算する。)やトランプを混ぜる。指をおって数字を数える。という非常に単純な思考や動作ができなくなっていく自分は認識しているのです。
しかし・・「体調は非常に良い」と感じます。
つまり、一般的な病気や怪我のような「痛み」「苦しみ」「嫌悪」といったマイナス感が全くないのです。
非常に悪い言葉で言えば、「幸せな気持ちで緩やかに意識喪失になる。しかも恐怖も嫌悪もなく・・・」という状態です。
こういった経験を持っていれば、「何かおかしい!!」と感じることは出来るかもしれません。
有効意識時間
低酸素症に至るまでの時間を有効意識時間と言いますが、次のとおりです。
- 10,000~15,000ft:1時間以内
- 18,000ft:30分
- 20,000ft:5~10分
- 25,000ft:2~3分
- 30,000ft:90秒
- 40,000ft:30秒
- 50,000ft:10秒
この時間をどのように感じるかは人それぞれです。
ANA便の急降下は正しい判断
私が、Twitterで「13,000mから3,000mへの急降下は与圧システム不具合に対する正しい操作だ」と書いた理由は分かっていただけると思います。
当該機は、13,000mを巡航中に空調系統(与圧系統)の不具合が発生した。もしくはその恐れがあった。
13,000mは、36,000ftになります。その高度の有効意識時間は90秒以下です。
機長が行った「急降下」
意識ある状態がごく短時間であるからこそ、すぐに高度を下げて不感域へ到達しなければならない。
10分間で10,000mの降下は、素晴らしい判断であり、操作であったと私は思います。
エアライン利用の皆さんへ
この記事を読んで、高高度を飛行することにちょっと恐怖を感じる方が出るかもしれません。
しかし、エアライン機では12,000ftを超え与圧系統に不具合が出ると自動的に酸素マスクが出てきます。
また、与圧系統は複数の系統によるバックアップが施されていますので、安心して空の旅にお出かけして欲しいと思います。
ただ一点お願いするのであれば・・・
【酸素マスクがおりてきたら、グダグダ言わずに、速攻で装着しろ!】です。
他人に付けてあげる。子供に付けてあげる。等々ありますが、まず自分です!!!
低酸素症になっても、加圧された酸素による呼吸を行えば回復します。ですから、まず自分の行動を優先して下さい。
小型機の操縦者さんへ
与圧系統のない小型機の操縦者のみなさん。
雲が高い、山越え、性能以上の上昇や巡航、前線超え、どうしても帰りたいとか行きたいとかの理由でやってませんか?
飛行中に、10,000ftを超えるときは、さっさと諦めてオルタネートへ行って温泉にでも浸かって下さい。
次の日に帰れば良いんですからね。
どーーーーーしても、10,000ft超えて飛行したい人は、
- 手袋を外して、10分に1回爪を見て飛んで下さい。
- ミラーを自分に向けて、唇見て飛んで下さい。
爪が青黒くなったら。。。唇が紫になったら。。。チアノーゼですよ!!!!EMERかけて!!!!緊急降下ですよ!!!!
そして、10,000ft以下で必ず15分以上まっすぐ飛行して(回復時間)から、着陸して下さいね。
与圧系統を持つ航空機の操縦者のみなさん。
その機体の与圧系統ダイジョブですか?
機内高度計は30分に1回、10,000ft以上では10分に1回はチェックですよ。
ドアや窓のパッキンは正常でしたか?前回正常でも今回はわかりませんよ・・・。
与圧の空気流の音や体感も大事ですから、疑わしきはすぐに降下することを躊躇せずに。
後書き
低酸素症は、生物である限り決して避けられるものではありませんが、正しく理解して、正しく運用して、いざというときは正しく対処することによって、最悪の事態を防ぐことが出来ます。
一部のマスコミでは今回の事例を騒ぎ立てるような傾向も見えますが、機長のとった行動は正しく、素晴らしい判断だったと思います。
参考文献:
HYPOXIA; AM-400-91/1 FAA
AIM-Japan;航空機操縦士協会
臨床航空医学:航空医学研究センター、同ウェブサイト
詳しい解説有難うございました。
凄く詳しいなと思いながら読んでいましたが、プロフィール見て納得しました。
今回の問題は急降下したことではなく、空調が2台とも故障したことなんですね。
以前搭乗機が空調故障で滑走路上で停止、復旧後離陸したことがありましたが、理由がよくわかりました。
コメントありがとうございます。
バックアップも含めて故障したのかどうかは、現在では不明ですが
緊急降下をする必要性に迫られたことは、やはり緊要な故障を伴っていたのかとは推測しています。
早期の原因究明を期待したいですね。