BREITLING

ブライトリング(https://www.breitling.co.jp/)は、時計メーカーの名前です。

「時計はプロフェッショナルのための計器である。」という信念を貫いて作られるそれは、とても精巧で美しい。

今回は、私の時計・・・・いや、「計器」のお話です。

憧れ

ブライトリングを初めて知ったのは、航空学生に入隊してしばらくしてからのこと。

自衛隊の基地内には売店があって、時々時計屋さんとか車のディーラーさんとかが、展示販売にやってきます。

当時、防府北基地に所属して、航空学生として毎日飛んだり、はねたり、潜ったりしている頃、売店に時計屋さんがきました。

デジタル表示にはない針のバランス

磨かれたケース

宝石のようなクリスタルガラス

そして、航空機と一緒に撮影されているポスター

一発でファンになりました。

当時は、ブライトリングより、タグホイヤーやSINN、Gショックといった時計が主流で、ブライトリングは高嶺の花というイメージがありました。

でも、なぜか私は「将来、これをつけて飛んでやる!!!!」と思ったのです。

デジタル派?アナログ派?

F-1レーサーの中島氏は、アナログ派らしいです。

理由は、「針の角度で、時間が分かるから。」

当時の航空機やF-1、ラリー等のレース車両はアナログ計器が主流でした。

今は、デジタル表示もかなりありますが、回転計をバーコード表示して、一瞬にして確認できる表示も健在です。

空飛ぶたぬきもアナログ派でした。

理由は、同じようなものでしたが、単に当時のデジタルは「Gショック」が主流で、雑誌を見ても、周りを見ても、みんなGショック・・・。

人と違うことをしたい私には、Gショック(デジタル)は選択肢に入りませんでした。

タイム・ハック

航空学生を卒業し、フライトコースに入る頃に、「正確な時間を表示できる時計」が必須になりました。

それなら、デジタルでしょ?といわれそうですが、毎朝決まった時間に時計を合わせるという行為があるのです。

これは、「タイムハック」と呼ばれており、毎朝のマス・ブリーフィングで、当番になった学生が、全員の前に立って、時計を合わせるという儀式のようなものがあります。

この時、与えられる時間は15~30秒程度

15秒以内に時計を合わせられる状態にセットしなければいけません。

今ですと、そういった機能を持つ時計も多いのですが、当時のデジタル時計は「細い針」のようなものでボタンを押す必要があったりしたので、敬遠されてました。

「タイム・ハック、0730、before 20 second」から始まり、「10sec・・・5、4、3、2、1、ハック」

この瞬間に、秒針まで全員が合わせます。

常に秒単位で生活することが要求されました。

最初の時計は・・・

ブライトリング・・ではありません。

タグホイヤーというメーカーのものでした。

なぜ、タグホイヤーかと言うと、「値段相応」というのが正直なところです。

これも好きな方には有名なものでした。

タグホイヤーは、F-1などの車のレーサー達には人気の時計で、当時の計測用デジタル表示には、タグホイヤーの文字が入っているものが多かった気がします。

しかし、これがなかなか見つからないwwww

ありとあらゆる時計屋さんをのぞいて、福岡で見つけて、やっと決めた時計でした。

結局、フライトコースの間はこのタグホイヤーと過ごすことになります。

F-15への配置が決まって

戦闘機操縦者の最終課程、松島にて行われる「戦闘機操縦課程」が終了する数日前に、主任教官から配置と機種の発表があります。

○○年2月7日でしたね・・・「○○候補生、○○飛行隊、F-15!!」と。

「はいっ!!!」と元気よく返事したのだけよく覚えています。

その後は、F-15操縦士要員だけの特別訓練「F-15準備課程」があり、卒業する頃には、昔憧れだったブライトリングを思い始めます。

甘かった・・・orz

松島卒業後、部隊に配置、すぐにそのまま機種転換課程に入るため、浜松にて学科教育、そして実機による訓練のために、宮崎に移動

あっというまにF-15機種転換課程が過ぎていき卒業

ふと気がつくと、右肩に「EAGLE DRIVER」のワッペンがつきます。

「さぁ!これでブライトリングを着けられるパイロットになった!!!」

・・・甘かったです。

部隊に戻ると、すぐにAR訓練(アラート勤務につける操縦士訓練)が始まります。

ボコボコにされましたねwww

とてもじゃないですが、ブライトリングを着けられるような立場ではありません。

なんとかAR操縦士になって、アラート勤務につけるようになります。

するとすぐに、CR訓練(戦時に出撃できる操縦士訓練)が始まります。

これも、フルボッコにされますwww

学生時代と異なるのは、「誰も教えてくれない。」ことです。

「口をあけて上を見ていても、何ももらえない。」

必要な事は自ら調べて実戦して、結果を分析し、次に反映することが必要でした。

ここでも、「罷免」されることはあるのです。

「一度はつかんだ夢を自分で失う事は絶対に嫌だ!」だから必死でやりました。

そして、CR操縦士、本物の「EAGLE DRIVER」になるのです。

学生としての身分が本当に終わった時

CRになって、1年ほどしたころでしょうか、すでに僚機(ウイング・マン)としては一通りの事をこなせるようになっていました。

教えられるのではなく、教えることも増えてくる。

すると不思議なことに、それまで愛用していたタグホイヤーが止まるようになりました。

時計屋さんに持って行っても、電池とかではなく、「メカニカルな何か」とのこと。

「オーバーホール出来るけど」と言われましたが、ふと気がつきます。

「ブライトリングを着けてもいいと言われたのかもしれない。一人前のパイロットになったのかもしれない。」と。

学生という立場が終わって、これからが本当の意味でパイロットなんだと。

そしてブライトリングを手に

初めて、ブライトリング専門店を訪れました。

一言、「たけぇwwwwwwwwwwww」

100万円はするようなものばかりです・・・。

オールドナビタイマー等は有名ですが、とても大きい。

お店にある時計のほとんど見せてもらい、触っているうちに、あることに気がつきました。

(これは、ファッションではなく、自分の計器になるものだ。)

もちろん、見た目や機能性は必要ですが、「これから使いこなせること。」が何より大事だと考えました。

そのように考えると、私の細い手首には、小さなモデルが理想で、実際に飛行中に見るのは、長針と短針、そして秒針だなと。

特に秒針の視認性はとても大事に思えました。

航法計算はしないし、内部に小さな針があっても、飛行中に見ることはない。

結果として、あまりブライトリングらしくない?モデルになりましたが、これからパイロットとして一緒に過ごす「自分の計器」です。

大切に、でも決して飾ったり、磨いたりということことはなく、普段使いにしました。

いつも一緒に、いつも同じ事を

飛行訓練はもちろんのこと、家に帰っても、休日を過ごすときも、常に「計器」として一緒に過ごしました。

さすがに、お風呂に入るときと寝るときは外しますが、それ以外は一緒

私のモデルは、電池式クオーツではなく自動巻きでした。でも、手巻きをしたほうが、時間に狂いが出にくい。

朝起きて、「計器」を手に取り、時報を聞いて秒針を合わせる。

リューズを引き出して、ゼンマイを手巻きする。

毎回きっちりと21回転

そして、腕に着ける。

パイロットとして過ごした日数だけ、同じ事を繰り返す。

ちなみに、フライトの時は、手袋の上からつけていました。

結果として、傷がついてしまったのですが、これはこれで良い想い出かと。

今回の長いオーバーホールを終えて帰ってきた「計器」は、今も正確に「計器」としての使命を果たしています。

次にこのモデルが止まるときはあるのかな・・・。

あったとしたら、それはいつなんだろう・・・。

次は、何を腕につけるのかな・・・。

そんなことを考えながら、オーバーホールを終えた「計器」と、また今日から一緒に過ごします。


時計は、ファッションですから、好きなものを着けるのが一番です。

ただ、私の場合は、「不思議なタイミング」があったと思っています。

今日から、再び私の腕で「時を刻む計器」として、一緒に過ごしていこうと思っています。

え?タグホイヤーですか?

今も「私の甘えていた頃」を思い出せるように、最後に止まった時間のまま、大切に保管してありますよ。

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